朝倉山椒

今朝はひょうご伝統野菜でもある「朝倉山椒」をたずねて但馬・養父市にいってきました。
有名な山椒の産地が地元兵庫県にあることを知ったのは、随分前だったのですが、神戸の市場で見かけることもほとんどなかったので、一度は産地訪問したいと思っていました。
北村わさびさんや、赤崎の吉谷さん家の訪問で最近よく通う但馬路です。
カーナビの案内で、ここを左折して山道を進んでいきます。

途中山越えして小さな集落につきました。
大きなクスノキがある神社を過ぎたあたり。




バス停をのぞけば、一日三本だけ。
人の姿もない静かな場所…
川の音と、真上に円を描くトンビの鳴き声だけの初夏の緑がまばゆい山里です。
ケータイで連絡して、迎えに来てくださった軽トラに乗り換え、いざ山椒畑へ!

ウチのクルマではまず無理な林道を登って行きます。
心なしか体重バランスで左に傾いてる気がしますが、激しくバウンドを続けながら、斜面を這うような細い道を時速3キロで進んでいます。


四方が山に囲まれた気持ちいい畑です。
元は水田だった場所だそう。

「除草剤を使うのをやめたのでね、フキがとれるようになりましたわ。」と話す、JAたじま 朝倉さんしょ部会 前代表の高階さん、御年80歳!(めちゃくちゃお元気です)
江戸時代の文献に残る「朝倉山椒」の栽培も、聞けば今なお試行錯誤の繰り返しだとか。

「5~6年で成木となり、10年ほどで連作障害がおこることが解りました。」
また、旱魃に弱い反面、流れる水はいいが地下水のような停滞する水にあたると枯れてしまう。
「だから、本当は畑に作ってやるほうがいいんですわ。ここは西日も当たるので条件としてはよくないんです。」

↑そして、こんな風に突然病気で枯れてしまうこともあるそうです。
「根元からやられるんです。この木はもうダメ。」

害虫はあまりつかないけど、病気にめっぽう弱くとてもデリケートな作物だということで、
「試験場の方と相談しながら、木自体に力がつくように有機栽培に切り替えたんです。」
木を傷めると病気の元に成るので、収穫は完全に手摘み。
機械化できず、手間がかかるので、栽培法や作り手があまり広まらなかったんでしょうね。
何せ一年に一度の収穫ですから、とてもリスキーな作物ともいえるでしょう。
昨年は収穫の日に、突然ひょうが降って12cmも積もり、実が全滅するという辛い経験があるそうです。

そんな大変なご苦労をうかがうと頭が下がります。
「昔、子供の頃は、山椒の木に登って歌を歌うなとよく親父に云われたものです。」
???。
何のことだかさっぱりわからなかった店主に、
「山椒の木の根っこは、他の果樹と違って、深く下へ伸びずに、横に根を張る。だから、枝を不用意に揺すったりしたら、根こそぎ折れてしまうし、木肌の傷から病気になって枯れてしまうんです。そういうことで、昔からそんなことを云うんでしょうね。」
と、納得(!)の言い伝えを聞かせてくださいました。
一般的な「ぶどう山椒」と呼ばれる品種は多用途品種で、粉山椒にも利用されることから、収穫期が比較的長いため、栽培量も増えたのではないか・・・
また反対に、粉山椒にした場合、香りの持ちが悪い「朝倉山椒」は、粉山椒に加工せず、佃煮用がほとんどで、収穫期は実の柔らかい1週間程度に集中。 だから、沢山は作りにくいのではということです。
これまた納得。
多く作るには収穫期に人手がかかり、用途も限定されてしまう為、作り手が減ったのは当然といえば当然。
しかし高階さんは、但馬朝倉氏にルーツをもつこの地に根付いた「朝倉山椒」を大事に育てようと、現在養父と和田山で作られた「山椒の学校」というセミナーで講師を務め、以前は栽培していたぶどう山椒も朝倉山椒に切り替えて復興に力を注いでいらっしゃいます。
まだまだこれからも、生涯現役で職人技を見せ続けていただきたいと思います。
収穫期の急な訪問にも温かく迎えていただいき、本当にありがとうございました。
高階さんに教えていただいた、裏山の桜を見に、今度はお弁当持って春に訪れたいと思います。

実生で野生味がありながら、渋みが少なく香りがよい、また辛味は強いが後を引かない朝倉山椒…
「山椒は小粒でもピリリと辛い」
玄斎もかくありたいと思うものです。